さて、先週友人の家に遊びに行くと、そこの娘さんが栗拾いをしていました。まだ5歳、でも炭バサミ(火バサミ)を使って、イガから上手に栗を取り出していました。その後、茹でたての栗をみんなでいただきました。ホクホクしていて本当に美味しかったです。目の前にある木から落ちた実を、拾っている姿を眺め、茹でているところを見、食す。ただそれだけなのに、贅沢な気分でした。シンプルに、そこに全てがあるということ。
(栗の木が、もっと小さな木だった頃を知っていて、5歳の子のうまれた頃を知っている。
時間の経過が、思いに厚みを与えてくれます。)栗の木と、拾う彼女。ボールいっぱいの栗。
品切れ中の「六花」手ぬぐいですが、少し描き直して再販予定です。ちょうど10年前の今頃、「六花」の版下を描いていました。その時にトレースした参考写真のコピーが残っていたので、また同じように、上からなぞって、自然のもつ美しいカタチを再現できれば、と思っております。10年経っても、まだ同じやり方というのが笑えますが、10年前はガラス机の下からライトを照らして描いていました。今回は、風呂敷「六花」を描く際に手に入れた本 『 Snowflakes in Photographs 』 から新たな雪の結晶も加える予定!本を眺めていると、その美しさに溜息がでます。
ライトボックスの上にプリントを置いてトレース中。
今日は都内でも大きな脱原発集会が開かれ、友人たちも参加していました。(『さようなら原発集会・デモ』)私は出掛けられなかったので署名だけでも。もうこれ以上、悲惨な状況にしないために、少しずつでも行動していきたいです。でも、エネルギーの問題というのは、なかなか難しく、複雑なものですね。